


南ロンドンを拠点とするサイモン・ラトクリフとフィーリックス・バクストンのプロダクション・デュオ、ベースメント・ジャックスは、90年代にイギリスで最もリスペクトされ、そして大勢を楽しませたプログレッシヴ・ハウス・トラックをいくつも発表した。1994年にはAtlantic Jaxx Recordsを設立し、時間の経過と共に彼等はトップに立つハウス・プロダクション・ユニットとして称賛されるようになった。多くのリミックスを手掛け(ペット・ショップ・ボーイズ、ロジャー・サンチェズ等)、インディーズ・レーベルXL Recordingsと契約を結び、デビュー・アルバム『Remedy』を1999年にリリースした。その2年後のアルバム『Rooty』は、彼等がオーガナイズしていたパブでのクラブ・イベントからタイトルが付けられた。コラボレーションが目立つ3枚目のアルバム『Kish Kash』を2003年後半に発表したが、彼等の人気がかつてない程に高まったのは、2005年にリリースされたシングル・コレクションがUKチャートで一位になり、グラストンベリー・フェスティバルでメイン・アクトを務めた時だ。





バウハウスはゴス・ロックの創始者であり、荒削りなギターコードと遠くに響く冷たいシンセサイザーに後押しされた最小限だけど威圧的な暗さを持ったポスト・パンクロック・スタイルを生み出した。しかし、ゴス・ロックの表面的なイメージだけに自分たちを制限するようなことは全くなく、その短いキャリアの中で独自の暗い音楽スタイルを様々な方法で探求し、グラム・ロックや実験的エレクトロニック・ロック、ファンク、そしてヘビーメタル等の要素を注ぎ込んだ。彼等のファンはカルト的な存在にしか留まらなかったが、21世紀になってもその情熱は衰えることなく、1998年に突然行われた再結成ツアーは大成功となった。
メンバーはそれぞれ解散後バウハウス時代よりも更なる活躍を遂げた。
ボーカルのピーター・マーフィーは、元ジャパンのベーシスト、ミック・カーンと共にダリス・カーというユニットを結成し、後にポストモダン・ロックや中東音楽の影響を受けつつソロとして活躍した。
ギタリストのダニエル・アッシュはトーンズ・オン・テイル(ニューヨーク・クラブヒットとなった『Go!』をリリースしたことで知られる)として活躍した後、元バウハウス集団のデヴィット・Jとケヴィン・ハスキンズと共に80年代を代表するアメリカン・オルタナティヴ・バンド、ラヴ・アンド・ロケッツを結成。長い空白の末1999年にバンドは終結を迎え、メンバーそれぞれはソロとしてのキャリアを歩み始めた。





アルバカーキ(米国ニューメキシコ州)出身のアーチストからここまで素晴らしいアルバムが出るのは、ザ・シンズが北西部へと旅立って以来のことだ。ベイルート(ニューメキシコ出身の19歳シンガーソングライターザック・コンドンとしても知られている)のデビュー・アルバムは、東欧フォーク音楽に大きな影響を受けており、それ程ではないが砂漠に覆われた南西のマリアッチ・トランペットとラテンリズムの影響も受けている。『Gulag Orkestar』では、マンドリン等のストリングスの楽器、アコーディオン、ホルン、そしてハンド・パーカッションがドラマチックにスタジオで奏でられている。しかしコンドンは、伝統的な形にただ近づくだけでは満足しない。メロディックなインディーズ・フォークソングとその印象的なリリックに合わせ、コンドンと彼の仲間はフォーク楽器をクールな音質を奏でるものとして使用している。コンドンは予想外に魅力のあるシンガーであり、その豊かで心地よい声は(冗談ではなく本当に)、ロックよりも前の時代(幼きニック・ケイブを含む)のささやくように歌うベルカント唱法を思い出す。



一卵性双生児のキムとケリー・ディールがフロントをつとめるザ・ブリーダーズ。キムはピクシーズのメンバーだった頃にスローイング・ミュージズのタニア・ドネリーと共に、それぞれがバンド活動を休止していた時期にザ・ブリーダーズを結成した。初めてのセッションで生まれた曲はデビューアルバム『Pod』としてリリース。EP『Safari』がレコーディングされた後、タニアはベリーを結成し、ケリーもメンバーとして加わった。アルバム『Last Splash』をレコーディングし、収録曲『Cannonball』と『Divine Hammer』が世界的なヒットシングルとなった。8年の活動休止の末、キムとケリーはザ・ブリーダーズとして『Title TK』をリリース。




その存在は一つの現象だった。コクトー・ツインズは、スタジアムでライヴを行ったり、MTVでミュージック・ビデオがヘビーロテーションで流れたり、何百万枚の売り上げを果たすようなバンドではなかった。どちらかといえば、静かに聴く者の知覚と認識に抜本的な変化をもたらし、目には見えないが普遍的に感じられる影響を与え続けてきた。メディアが苦手で神秘的な存在として知られる3人組は、80年代のポスト・パンクサウンドを(同時にレーベル4ADも)定義する手助けをしただけではなく、90年代以降にでてきたアーチストたちにも影響を与えた。今までにプリンス、マドンナ、アニー・レノックス、そしてパーフェクト・サークル等の様々なアーチストが影響を受けたアーチストとしてその名を挙げている。その他にも(ごく一部になるが)スローダイヴ、ラッシュ、マイ・ブラディー・ヴァレンタイン、チャプターハウス、カーヴ等のアーチストもコクトー・ツインズが開拓した領域内で曲作りをしてきた。










一連のバンド名と様々なスタイルを経て、1984年にザ・カルトとしてイギリスで活動を始め、ハードロックを復活させる重要な存在として活躍した。ドアーズの神秘思想とアメリカ先住民への執着、レッド・ツェッペリンのドラマチックなギター、そしてAC/DCのスリー・コードが作り出す“ざくざく”感を受け継いでいる。そしてポストパンク・ゴスロックの要素を加え、80年代半ばに『She Sells Sanctuary』等のシングルをリリースし、根強いファンを作った。その後80年代後半に『Love Removal Machine』と『Fire Woman』をリリースし、アメリカのメタル界に進出した。


ブレンダン・ペリーとリサ・ジェラルドがデッド・カン・ダンスを80年代初期に結成し、一つの旅が始まった。デッド・カン・ダンスは世界でもまれに見るバンドだ。ジェラルドのこの世のものとは思えない声と、ペリーの滑らかなトーンがバランスよく重なる。9枚のアルバムをリリースし、新作が発表される度にその世界は広げられていく。ワールドミュージック、中世の聖歌、フォークバラード、バロック音楽、ケルト音楽、エレクトロニック、サンプリング等、彼等の興味をそそるものは何でも取り入れられている。





ダニエル・アッシュはギターを弾き、歌も歌う。デヴィット・Jはベースギターを弾き、歌も歌う。ケヴィン・ハスキンズはドラムを叩き、プログラミングも行う。
80年代半ば、まだオルタナティヴ・シーンがマイナーだった頃、ラヴ・アンド・ロケッツはリーダー的存在だった。伝説的バンドバウハウスからトーンズ・オン・テイルへと進化し、ソロとしてのキャリアを積み、ダンスクラブでヒットとなった1985年のデビューシングル『Ball Of Confusion』をリリースする等、彼等は常に独自の軌跡をたどってきた。暗くてサイケデリックなアルバム『Seventh Dream Of Teenage Heaven』に続き、ベーシストのデヴィット・Jが“LSD(*幻覚剤)”と要約した『Express』をリリース。60年代と同じように、LSDの影響が結果となりよりソフトでアコースティックな作品『Earth.Sun.Moon』が生まれた。このアルバムもチャートのトップにランクイン。4枚目となるセルフタイトル・アルバム(最近アメリカで2枚組として再発行された)とヒットシングル『So Alive』で大ブレイクを経験する。
5年間の活動休止を終え、アンビエント調のアルバム『Hot Trip to Heaven』と共に音楽界へ戻ってきた。リスナーが期待するチェーンソーのようなギターサウンドに替わり、ループや新しい音質とビートが取り入れられている。
1996年にリリースされた『Sweet F.A.』では、リック・ルービンの指導のもと歌を重視した曲作りへと戻っている。レーベルRed Antへ移籍した後、ラストとなるアルバム『Lift』を1998年に発表した。
1999年の終わりに行った全米ツアーを成功させると、メンバーは新たなチャレンジを求めた。そして再び離ればなれとなり、それぞれがソロとして歩み始め、バウハウスとして活躍した。


夢のような雰囲気、しっかりとしたフィードバック・ギター、そして空気のようなキャッチーなメロディーが特徴のラッシュは、90年代初期の最も優れたシューゲーズ・バンドの一つと言える。ギタリストのミキ・ベレニとエマ・アンダーソンがリードするイギリス・バンドラッシュ。ファーストEPのリリースと共にイギリスとアメリカのアンダーグラウンドでカルト的ファンがついたが、マイ・ブラディー・ヴァレンタインやライドほどの高い評価を得ることはなかった。ラストアルバム『Livelife』を1996年にリリースした頃には、夢心地なサウンドで元気のあるポップバンドへと転向し、キャリアの中で最も高くランキングされた作品となる。




ピーチズの存在そのものが一つの現象と言える。自らイメージを作り上げプロデュースし、自力でエレクトロパンク・ムーブメントのリーダーとなり、そして下品なリリック(『Fuck The Pain Away』や『Shake Yer Dix』などのタイトルだけでそれは確認してもらえるはず)の女王となった。強く打たれる最小限のビートがユニークさを与える。デボラ・ハリ、イギー・ポップ、ビョーク、ジョッシュ・オム、リル・キム、マリリン・マンソン、ケリス、2 Many DJs、M.I.A.、そしてLCDサウンドシステムという真の革新者からももちろん、ファッション界とアート界でも愛されてきた。ライヴパフォーマンスは伝説になるほど有名で、たった一人の女性が行うキス(KISS)のステージのようでかなり衝撃的だ。


カルト・アーチストとしてのソロ・キャリアを成功させたが、ピーター・マーフィーはいまでも80年代初期のポストパンク・ゴスロックの先駆的バンド、バウハウスのボーカリストとして一番よく知られている。
1983年にバウハウスを解散した後、ソロとしての活動を始める前に元ジャパンのメンバーミック・カーンとダリス・カーを結成し、アルバム『The Waking Hour』をリリースした。
1990年にリリースされた『Deep』からは、ファーストシングル『Cuts You Up』が予期せぬヒットとなり、その年のアメリカン・モダンロックのヒットソングとしてアメリカのチャートで7週間トップを飾り、AORラジオやポップチャートで55位にランクインした。

荒削りにうなるギター、メロディックなポップ・フックとダイナミックな“スタートストップ”が、男女ボーカルのハーモニーと一緒に謎めいたリリックと絡み合う。ピクシーズは80年代後半に最も影響力のあるアメリカン・オルタナティヴ・ロックバンドの一つとして存在した。独創的で熱狂的なロックファンでもあるメンバーは、パンクとインディーズ・ギターロック、クラシック・ポップ、そしてサーフロックを混合しながらそれまでのしきたりを裏返した。スタジアム級のリフを奏でるシンガー/ギタリストのフランク・ブラックの奇抜で分裂したリリックは、宇宙や宗教、セックスと破壊、そしてポップカルチャーについて歌う。そのリリックは不可解ではあるが、音は率直で力強い。ピクシーズのせわしなく簡潔な曲、非常なダイナミックな要素、そしてポップソングの構造を破壊する曲作りは、90年代のオルタナティヴ・ロックの標準と手本となった。グランジからイギリス・ポップまで、ピクシーズが影響を与えたジャンルは幅広い。ピクシーズがいなかったら、ニルヴァーナのあのダイナミックさとだるいノイズ・ギターも生まれなかったかも知れない。ピクシーズはインディーズ・ロックを主流へと導く重要な存在だと大げさに言われていたが、90年代初期に爆発したオルタナティヴ・シーンの土台を築く手助けをしただけだった。MTVは彼等のミュージック・ビデオを流すことをためらい、モダンロック専門のラジオさえも彼等のシングルをヘビーロテーションで流すことはなかった。最終的には、バンド内の対立が彼等の進展を損なう結果となり、ニルヴァーナが1992年にオルタナティヴ・ロックの扉を開いたときには既にピクシーズは事実上解散していた。










メロディックな60年代ポップに、ファウストやノイ!等のクラウトロック・バンドのアートロック要素を混合させたステレオラブは、90年代の最も影響力のあるオルタナティヴ・バンドの一つとして知られるティム・ゲインとレティシア・サディエールがリードをつとめてステレオラブは、ロックとはまた違った音楽の形を正当化させ、ロックというジャンルに昔から関わりのなかったボサノバ、ラウンジ・ポップ、そして映画音楽等のポップミュージックに注目を集めるきっかけを作った。


非常に美しい『Song To The Siren』のカバーで知られるディス・モータル・コイルは、4ADの創立者アイヴォ・ワッツ=ラッセルが結成したバンドだ。正しく言えば、バンドというよりも、それはアイヴォが新たな音楽的領域を探検する為に、そしてシド・バレット、アレックス・チルトン、トーキング・ヘッズ、ティム・バックレイ、ジーン・クラークの曲をカバーする一つの手段として始められたプロジェクトだった。長年にわたり4ADのアーティスト、キム・ディール、タニア・ドネリー、ハイディ・ベリー、コクトー・ツインズのロビン・ガスリーとエリザベス・フレイザー、そしてサイモン・レイモンド、デッド・カン・ダンスのリサ・ジェラルドとブレンダン・ペリーをフィーチャリングしてきた。ディス・モータル・コイルの音楽には独特の雰囲気があり、それは時々夢心地であり、時々心をつきまとう。3枚のアルバムを発表した後、このプロジェクトは中止となり、以降のレコーディングはホープ・ブリスターの名でリリースされている。


