

バウハウスは初期4AD/ベガーズ・バンケットを代表するバンドであり、存在感、個性、後進への影響の大きさなど、いまに至るまで衰えを見せない。
78年、イングランド北部のノーザンプトンで結成。メンバーはピーター・マーフィー(vo)、ディヴィッド・J(b)、ケヴィン・ハスキンス(ds、Jの弟)、ダニエル・アッシュ(g)の4人。20世紀の建築や造形美術に多大な影響を与えたドイツの造形芸術学校の名からとったバンド名のように、強固な美意識に貫かれたクールかつシアトリカルなステージング、孤独と絶望を歌ったダークで陰鬱な音楽性、耽美を貫き通したヴィジュアルなどで話題を呼び、79年に、往年の吸血鬼俳優を歌ったシングル「Bela Lugosi's Dead」でデビュー。翌年、設立されたばかりの4ADに移籍し、ファースト・アルバム『In The Flat Field』を発表、ポスト・パンクを模索するシーンに深刻な衝撃を与えた。その後より幅広い活動を目指すため親会社のベガース・バンケットに移籍し、3枚のアルバムを発表するも83年5月の初来日公演の直後に解散する。
解散後の彼らはラヴ&ロケッツやソロ活動などを展開するが、98年にオリジナルの4人で再結成。ライヴ・アルバムをリリースし、2度目の来日公演もおこなった。その後も不定期ながらライヴを中心に活動を続けている。
彼らの存在はその後のゴス/ポジティヴ・パンクやダーク・サイケデリアの先駆けとなり、またナイン・インチ・ネイルズやマリリン・マンソンから日本のヴィジュアル系バンドまで多大な影響を与え続けている。

コクトー・ツインズこそは4ADのレーベル・カラーを確立し、その知名度を広げた存在だ。そのユニークきわまりないサウンドは、英国ロックの長い歴史の中でもいぶし銀のような光を放っている。
コクトー・ツインズは79年にスコットランドのグランジマウスで、ロビン・ガスリー(g)と友人のウィル・ヘッジー(b)が、ディスコで知り合った女性エリザベス・フレイザー(vo)を誘い結成した。バンド名はシンプル・マインズの歌詞からとっている。
当時人気絶頂だったスージー&ザ・バンシーズのようなサウンドを目指すもののすぐ独自の境地に達した彼らはやがて4ADのオーナー、アイヴォ・ワッツ=ラッセルの目にとまり4ADと契約。82年にファースト・アルバム『Garlands』を発表。これがインディ・チャートの2位を記録。83年にはセカンド・アルバム『Head over Heels』を発表、さらに3作目『Treasure』(84年)で完全に自己のスタイルを確立した。
残響音を巧みに活かしながらタペストリーのように精緻に編み上げられたギター・サウンドと、天使の声とも評されたフレイザーのヴォーカルが織りなす夢幻的な音空間はコクトー・ツインズだけがなし得る世界であり、それは80年代の耽美的で退廃的な4ADのサウンド・カラーを見事に体現していた。
コクトーは90年のアルバム『Heaven or Las Vegas』を最後に4ADを離れ、97年に解散。しかしシューゲイザーやアンビエント・テクノ、ポスト・ロックといった音楽に、彼らの影響はいまなお顕著だ。

ゲイリー・ニューマンは、設立まもないベガーズ・バンケットを成功に導き、英国を代表するインディペンデント・レーベルにのしあげた功労者であり、かつもっとも初期のエレクトロニク・ポップのスターのひとりだった。
ゲイリー・ニューマン(vo,synth)は58年ロンドン生まれ。15歳でオリジナル曲を書き始め、78年にチューブウエイ・アーミーを結成。同年ベガーズ・バンケットと契約、ファースト・アルバム『Tubeway Army』を発表。これは話題にもならず終わったが、続くシングル「Down in the Park」「Are 'Friends' Electric ?」、セカンド・アルバム『Replicas』がともに全英チャート1位となる大ヒットとなって、スターダムへとのしあがる。サイバー・パンク的コンセプト、アンドロイドを思わせる無機質かつ中世的なルックス、クールでメカニカルなエレクトロニク・サウンド、自閉症的な内向性に満ちた楽曲などで、たちまちニューマンは時代の寵児となった。
その後、実質的なワンマン・バンドだったチューブウエイ・アーミーからソロ名義になり、サード・アルバム『The Pleasure Principle』も大ヒット、<ニューマン現象>はピークを迎える。
7枚目のアルバム『Warriors』を最後にベガーズを離れるが、その後もコンスタントに活動を続けている。97年にはスマッシング・パンプキンズやマリリン・マンソンらが相次いでニューマンの曲をカヴァー、ブラーのデーモン・アルバーンやジ・オーブなども参加したニューマンのトリビュート・アルバムが発表されるなど再評価も進んでいる。

ピクシーズはスロウイング・ミュージズに続いて4ADが契約したアメリカのバンドだが、彼らの登場は80年代末以降のアメリカン・オルタナティヴ/グランジ・ムーヴメントを予見したばかりでなく、それまでの耽美的でゴシック的な4ADのレーベル・カラーを大きく変えたのである。
ピクシーズは86年ボストンで結成。フランク・ブラック(vo,g)がジョーイ・サンチャゴ(g)、キム・ディール(b)、デイヴィッド・ラヴァリング(ds)の4人で、そのライヴが評判を呼び、いきなり英国の4ADと契約を結ぶ。翌87年、ミニ・アルバム『Come on Pilgrim』を発表、続いてスティーヴ・アルビニのプロデュースでファースト・フル・アルバム『Surfer Rosa』が大評判となり、続く『Doolittle』は英インディ・チャートと米CMJチャートの両方で1位となり、ピクシーズの名は一躍世界中に知れ渡る。
切れ味鋭いギター、狂気を秘めたヴォーカル、性急なビート、爆発するエネルギー。アメリカのカレッジ・ロックの内省的なインテリジェンスやハードコアのパワー、さらにNYノー・ウエイヴ一派の歪んだ感覚、また英国のニュー・ウエイヴにも通じる陰鬱でソフィスティケイトされたサウンドを融合したピクシーズのロックはきわめて新鮮かつ個性的なものであり、彼らの開けた風穴から、たとえばニルヴァーナやレディオヘッドのようなバンドが登場したのである。
だがピクシーズは4枚のアルバムを残して92年末に解散。メンバーはそれぞれソロやブリーダーズ等で活躍していたが04年に再結成。同年7月にはフジ・ロック・フェスティヴァルで初来日も果たした。

実験音楽とポップの狭間を軽やかに渡りながら、新鮮で奥深い音の景色を見せてくれるキュートでキャッチーな迷宮音楽。ステレオラブの存在は、いまのポスト・ロックや音響派にも大きな示唆を与えている。
ステレオラブの前身はマッカーシーというポリティカルな姿勢をもつバンドで、そのメンバーだったティム・ゲインを中心に90年にロンドンで結成された。トゥー・ピュアと契約し、ノイ!やカンなどのクラウト・ロックに通じるビート、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド的なサイケデリックなギター・ノイズが融合したケオティックな音楽性で一部マニアの熱狂的な支持を獲得。しかし彼らが一般的に知られるようになったのは96年の5作目『Emperor Tomato Ketchup』だろう。
トータスのジョン・マッケンタイアがプロデュースを手がけ、寺山修司の実験映画からタイトルをとったこの作品は、ファンタジックでオプティミスティックな浮遊感と、カラフルで甘美なポップ・センス、繊細だが心弾むような音響感覚で大きな話題となり、ステレオラブは一躍シーンの最前線に躍り出る。
多彩な音楽性をさまざまな実験的手法で消化し、ちょっぴり毒のあるポップ・センスで彩るステレオラブの手腕は、その後もさらなる洗練と緻密さを備えながら、ますます冴え渡っている。02年にはメンバーのメアリー・ハンセンを事故で失う悲劇にも見舞われるが、バンドは健在である。

